風が吹いて忘れた数々の事柄

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「風が吹いて忘れた数々の事柄」

あなたの言葉を誤読して、これがその誤読の上に成り立つ現実ならば真実なんぞ何の意味があるだろう。誤解と勘違いで創り上げた世界に命をかける。
断片を繋いで合わせたつじつまに納得した振りをしてみるものの、夏に沸き立つ矛盾した臭気に翻弄された思考は判断力を失い梅雨に背丈を伸ばした花々に行く手を阻まれながらも元来た道を戻り始める。 知らない振りも続けるうちに本当に忘れてしまい、もう思い出せないでいるくせに知ってる振りをする羽目になるようだ。吐き出す炎に赤く染まった顔は夕日に照らされたように美しく、平穏を知らぬ男の顔には嘲笑のあざが深く染み入り、もう二度と消え去る事はないだろう。本質に触れたいの、アブサンの緑色と彼女の赤黒い顔色。狂っているのは誰?入り組んだ迷路の中で、春に畳んでしまい込んだセーターをタンスの虫は真っすぐに進む。秋になって広げれば一本の真っすぐなトンネルは無秩序に散りばめられて水玉模様にあいた穴。冬の冷気に動きを止められるまで、座軸はいつだってくるくる気まぐれに踊り続ける。

30を過ぎて頭髪に白髪が混じるようになると前髪を分けては短く生え始めた色素のない毛を探すのが習慣になった。それらの白髪は徐々に太い束になり丁度鳥の羽の付け根のように固くストロー状になって額の上に生えた数本の半透明のそれらはまるで角のようだった。さらに日を重ねるにつれそれらの先端からは羽のように毛が生えてきた。こうして私は前頭部に数本の白い羽をゆらゆらさせる事になり道行く人に、夏休みですか、などと声を掛けられるようになったのだった。

永遠に続く一日

隣の部屋の異星人は人間の無秩序な行為を理解できず苦しみ、笑うことを拒んだ為に発達しなかった顎の上に小さく開いた口はぎこちなく震え怒りを吐き出すことしか知らなかった。この部屋の窓から見える景色といえば信号機くらいなもので青から黄、赤、そして青へと色の移行を単調に繰り返す。なんの為に。誰かそういうものを欲しがる人がいたのだろう。規則正しく色の変わるそれを私の窓の外に置いたのだろう。無論、私が後にやってきたのだが。私は後からやってきたのだ。全ては既にここにあった。壁もドアも天井も雨漏りも隣人も向かいの図書館もカラオケ教室の歌声も夜にやっと静まる騒音も早朝の鳥の鳴き声も湿気も風も埃も、私がここにくる以前からあったもの。ここに以前は無かったものと言えば私だろう。他人はどこまでも理解不能で自分さえもどこまで理解できているのか分からない。理解不能な他人は同時に全知全能の神である。いつからか私はそれら神である他人に運命の全てを委ねることにした。埋めては掘り返す道路工事を、洋服を着せられた大型犬を、もはや何も語らぬ塗装の剥げた看板を掲げつづける意味を尋ねたりはしない。 湿気を吸ってたるみ始める段ボールを見ながらカビゆく生命の姿を横目に捉え、やわらかな脳みそに青あざが出来るほどに考え込む。これまでの出来事はどこに失われ、これはいつまで残り続けるのかと。その惑星の重力に心は惹かれ回転を始めるものの、軌道がずれるのを見計らって圏外に放りだされれば後は落下に身をまかせるのみ。長い長い自由落下は上昇とも錯覚させ、対象物の無い空間では遠近感は掴めず終わりは目の前のようでいてまだ先のようにも見える。ずらりと一列に並んだ 前の一頭と次の一頭の区別もつかぬような羊の上を、忘れてしまうほど永遠に拡散し羊の概念になるまでに至ったドリーを個体として見つけることも愛する自信もないままに彷徨い歩く。うつ伏せて寝転がると顔の下には巨人の手があった。私の目と鼻と同じ等倍のこの巨人の手は私のものだろうか。いつのまに巨人になったのだろう。巨人の家には巨人用のテーブルに巨人用のコップ。全てが大きくなってしまった。全ての等倍が均一であれば何も支障はないようで、大きくなった世界に他の誰も気づきはしない。自分達が巨人であることにすら。自らの歩行に足をとられぬように進化したムカデの足は後ろ足へいくほど長くなる。眠りさえしなければ良いのだ。毎夜カメが重い足取りでやってきては私の額の上にすわりユラユラとその甲羅を揺らしゴリゴリと私の頭蓋骨を割ろうとしている。数十本のヤギの足が布団の上から踏みつける。
朝遅くに目が覚めて以来ずっと、トタン屋根を打つパラパラという雨音を聞いていた。このぼんやりと流れる一日は永遠に終わりが来ないのではないかと思うほどに長く、途方のない日々を送るのにも関わらず幾年もの月日はいつのまにか過ぎ去り、書き始めた手紙はいつのまにか独り言へと変わっている。誰に宛てた手紙だったのだろう。あまりに強く風が吹いた為に忘れてしまった数々の事柄。悲しみだけはいつまでもそこに留まり喉を絞める。一体いつからこんなにも悲しんでいるのだろうか。この始まりも終わりも見えぬ悲しみは私を飲み、その深く青い暗闇に溶け込ませ、バラバラという雨音がいつしか私の体をばらばらにしたのだった。それにも気づかず頭は悩みつづけ、腸は消化をつづける。耳はとっくに聞き飽きた話を、口はぶつぶつくり返す。相変わらず見たいものしか見ない目と行きたいところにしか向かわない足によって、いつもでたらめな場所に行き着いてしまう。本当は温かいコンクリートの上に寝そべりたいだけの背中に私はいつも同意する。私はいつも心のそばにいたのだけれど、あんまりゆらゆら揺れるので今は踵の辺りにいる。踵は案外広いのだ。大きな砂漠と綿畑もある。近くには川もあって大きな石がゴロゴロしている。肩の付け根辺りに赤い斑点のある黒い鳥が、綿畑の真ん中に通った砂利道にいつも数十羽の群れをなしている。土を突ついているものや電線にとまっているもの、飛び回っているもの。それらの鳥の機械音のような鳴き声を私もいつしか歌えるようになっていた。毎日この綿畑を通り抜け川沿いを歩く。少し歩くと気に入っている大きな岩があるので、その上に背中を下にして寝転がる。そうすると大抵えさを探すトンビが私の上を旋回し始める。まだ生きてるよ、と一応口の中で呟いておいてから目を閉じる。川音に耳を澄ましてずっとついて行ったら海へ出られるかもしれない。噛まれた蛇の毒が回ってあの子の声が体を廻る。

写真・テキスト / 松田朕佳